里山起案

人口減少社会という下り坂を緩やかに下るための、実践知を少しだけ

地方移住者の価値観は時代とともに変化してきた

地方移住の価値観は、時代とともに変わってきました。

脱都会から田舎礼讃、帰農、そして....

 

①1970年代 『脱都会/イデオロギーのUターン時代』
高度経済成長を経て都市生活の環境が悪化し『脱都会』が叫ばれはじめます。実際、人口は”農村への流出”が”三大都市圏への流入”を上回るなど(1976年)、Uターン(出身地の田舎へ帰る)の流れがおきました。同時に、大量生産・大量消費への批判から有機農業、生協運動、コミューン運動が起きた時代でもあります。その背景には社会全体に、安保闘争学生運動、ヒッピームーブメントの残り香があったようです。そのため理屈っぽい、思想的な移住者がたくさんいました。

 

②1980年代〜90年代 『田舎礼讃のIターン時代』
70年代の重くネガティブな動機から、「田舎ってすばらしい」の時代へと変わっていきます。思想的移住から、農林漁業の実践や脱サラペンションなど自己表現移住へと切り替わり、Iターンという言葉が出現しました(1989年)。
ときはプラザ合意後のバブル。リゾードバプルに加えて、アウトドアのブームもおき、自然派を自認する人が増えます。
 
③1990年代後半〜00年代『帰農時代とDASH村
憧れの素晴らしき田舎は、バブル崩壊後、就職先がないために帰らなければいけない場所になっていきます。田園就職の帰農時代です。
そんななか、2000年にTOKIOの番組鉄腕ダッシュのコーナーで”DASH村”が始まり、田舎のイメージを変えていきます。同じように、中高年のイメージを変えたのは同年にはじまった番組「人生の楽園」でした。
もう一つの潮流として、自然志向ロハスブームがおきたものこのころです。雑誌「自給自足」がスタート。2005年国交省はニ地域居住を提唱。クラインガルデン(ドイツの都市型農園)を真似た考え方が背景にはあります。
 
④2008年〜09年『リーマンショックと協力隊』
2008年のリーマンショック後、移住を支援する団体や行政窓口にくる若者の動機は「仕事探し」になります。仕事がないから田舎へ行こうというブームです。
翌09年に始動したのが、総務省地域おこし協力隊という予算です。初年の100名からこれまでに2600名にまで膨れ上がりました。都会批判でも、田舎礼讃でも、田園就職でもない時代がはじまります。
中国の毒餃子事件をきっかけに、「食の安全」がメディアを賑わせたころ、雑誌「自給自足」は「TURNS」へ誌名を変更。
 
⑤2011年〜2013年『3.11パニック疎開移住』
東日本大震災原発事故により、疎開移住が激増。希望移住先として西日本県が上位になります。このとき、移住希望者が求めたのは「田舎暮らし」ではなく「安心安全な暮らし」のため地方の都市部を選んだ人も多いようです。統計によると、2013年の半ばごろには、このパニック疎開はおちちきました。私もこの1人です。
 
⑥2014年以降『新しい流れ』
「地方にこそ、次の時代の可能性がある」と考える若者が増えています。「里山資本主義」などの本の影響かもしれません。もしくは「自分の生きる道をもとめて」という自分探し系も増えてきました。
 
以上
あくまで概要です。

このような、価値観の変遷をなんとなく理解していると、先輩移住者との不要な軋轢をさけることができます。「○○さんと話していて、地雷を踏んでしまった」という報告を耳にしたで、おさらいとして書いてみました。価値観というのは、どれが正しいというものではありませんし、否定すべきものでもありません。先輩達の言葉に、ただじっと黙して耳を傾けるべきです。
 
 <本日の本>
『田園回帰の過去・現在・未来』小田切 徳美